皆、あの英雄を知っているが、誰もあの英雄を知らない。

 ゲームキャラクターとはなんだろうと思う。

 もっと踏み込んで具体的に言えば『ゲーム以外の媒体で描かれるゲームキャラクター』とはなんだろうと思う。

 

 漫画やアニメを原作とするキャラクターとは決定的に違う。では果たして何がそこまで異なるのかと問われれば、やはり定められた情報の量であろう。ゲームキャラクターは空白が多い。漫画キャラと比較すればそれはまるで穴の空いたチーズのようだ。

 

『この世に存在する最も対になり、落差を感じさせるキャラ類型をあげよ』と問われれば皆さんは何を想像するだろうか。心優しき善人と凶悪な殺人犯? 絵本の世界に住むお姫様とダークファンタジーの中で泥臭く生きる傭兵?

 私が真っ先に思い浮かぶのは『少女漫画の主人公と男性向け漫画のヒロイン』である。女性が感情移入できる等身大の女性と男性が追い求める都合の良い女性の間には簡単には埋められない大きな差異がある。

 

 この二つの解釈が一人のキャラクターに重なることはそうそうあることでは無い。あったとしても頻繁には起こらない。起こらない筈である。しかし我々は知っている。その可能性が頻繁に起こり得る特異なキャラ属性を、そう、それはゲームキャラクターだ。

 

 特にプレイヤーに感情移入させるために作られた無個性主人公に多く見られる現象だ。人々が体験した冒険により、彼女らは冴えない男のために淫靡な微笑を口端に携え幾度も股を開く小粋な売女にも、実写化が決定したら配役が米倉涼子に決まりそうな女性をエンパワメントする強かな女性にもいくらでも変化する。まさに千の顔を持つ英雄、見る人に寄りけり、大きくキャラクターは変貌していく。

 

 故にゲームキャラクターたちはアニメや漫画ではあんまり本物にはならない。

 何故なら『一万人居たら一万人が自分の物語だと思える余白』こそがゲームキャラクターの本質であり、水面に映る己の影こそが真の原作だからである。

 

 Audi famam illius.
あの人の噂を聞いたことがある

Solus in hostes ruit
たった一人で敵陣に舞い込み

et patriam servavit.
故郷を救ったとか

Audi famam illius.
あの人の噂を聞いたことがある

Cucurrit quaeque tetigit destruens.
地を駆け 触れるもの全てを砕いてまわったとか

Audi famam illius.
あの人の噂を聞いたことがある

  

 これは私の大好きなとある有名ゲームの主題歌から引用した一節だ。奇しくもゲームキャラクターの本質を突いた詩になっていると思う。

 英雄と言うにはおこがましい、どちらかというと怨霊の類である、カーネーション畑で埋もれている赤い少女を私は産み出したことがあるが、やはりその物語を作者が決めて良いのか、悩まざるおえないというのが私の正直な実情である。

 

 2020年9月5日追記:アイカ島の物語はこちら側でだいぶ解釈を決めてしまったが、アイカ島とアイカ村は繋がってはいない、言わばパラレルな関係にあるので好きなように、自由に見てもらえると嬉しい。